院長 内藤 康貴(柔道整復師)
私がこの道を志したきっかけは頑張ってる学生を応援したいと思ったからです。
私は福井県出身で地元の高校を卒業後、同朋大学に進学しました。小学校から野球を始め高校三年最後の夏が終わりどうしても諦めがつかずもっと野球がしたいと思い進学を決めました。
同朋大学は西武ライオンズ投手コーチの豊田清さんがOBでおられる大学です。周りは強豪校出身の選手や甲子園に出場している選手ばかりで、その中で一緒に野球ができる喜びと、最後までついていけるのかという不安の中でがむしゃらにやっていました。
3・4年生の時には目標にしていた愛知1部リーグでプレーする事が出来ました。試合にはほとんど出ることは出来ませんでしたが、挑戦し続けていくことの大切さを学び、チームでは共に支えあうことを学び、喜びを共感することができました。 大学卒業後は今までの経験を活かし出身の福井県に戻り企業の野球部に所属し県の代表にも選ばれる事が出来ました。
第二の社会人生活に選んだのは柔道整復師でした。
大学の時に右肩を痛めてからは治療を受けながら現役を続けていました。その時に色々な先生方にお世話になり体の事はもちろん精神面でも支えて頂きました。そのことがきっかけで僕もスポーツを頑張っている子を応援したいと思うようになりこの道を志しました。
米田柔整専門学校で勉強をしながらバイト先であるせっこついん荒子でたくさん経験をさせて頂き勉強と両立し国家資格も取ることが出来ました。
学校を卒業後はそのまませっこついん荒子に入社しその後も経験をつみ分院であるせっこついん荒子2ndの院長を4年間務めました。院ではたくさんの患者さまと接する事ができ本当に楽しく仕事が出来ました。また目標にしてきた学生たちの応援も出来ました。
そしてH25年10月7日に天白区原に内藤接骨院を開院する運びとなりました。
私たちの仕事は体の事はもちろん、患者さまとコミュニケーションをとりながら一緒に頑張って治療を進めていけるところだと思います。
その中で患者さまと共にゴール(目標)を設定し治療計画を立て治療を進めていきます。
お子さまからご高齢の方まで地域の皆さまの健康へのお手伝いが少しでもできるよう心の触れ合いを大切に地域医療に努めていきます。
スポーツ・日常生活で生じた痛みあきらめずに一度ご相談下さい。全力でサポート(応援)していきます。
現在は愛知県立愛知総合工科高等学校にて男子バレーボール部のトレーナーとして生徒と一緒頑張っています。
令和元年5月よりハナノキ鍼灸接骨院に名称変更となりました。
内藤 みな(柔道整復師)
私は南アルプス仙丈ケ岳、中央アルプス駒ケ岳に囲まれた長野県の伊那谷という自然豊かな地で生まれました。小・中・高と大自然で伸び伸び育ち、身体を動かす事が大好きだった私はバスケ、ソフトボール、バトミントン等、色んなスポーツをしてきました。大きなケガはなかったものの、小さい頃から母の付き添いで治療院へ通っていました。その頃はどんな治療法なのかさっぱり分かりませんでしたが、なんとなく先生に診て頂くと体が軽くなり調子が良くなりました。
ソフトボールでは腰を痛め、ピッチャーをしていたのですが、投げる際に腰に激痛が走り力が抜けてしまいしゃがみ込んでしまう程でした。そんな時は、朝練の前に母に高速で1時間もかかる先生の所まで連れて行ってもらい治療して頂きました(今思うと、母にも感謝です)。なんとなく通っていた治療院の先生でしたが、徐々に憧れへと変わり治療家の道を志すきっかけとなりました。身体のことを1からちゃんと学んだ方が良いと教えて頂き、大好きだった長野県を離れ、名古屋の米田柔整専門学校へ入学。国家資格である柔道整復師の免許を取得しました。
初めて就職した接骨院では手技よりも人とのコミュニケーションの大切さを学びました。まだ若かった私は(笑)『そんな事より手技を教えて欲しい』とさえ思ってしまいましたが、今では1番大切な部分を教えて頂いた事に気が付き、とても感謝しています。
治療院の先生に憧れてこの道を歩む決意をし、柔整師となり、同時に、いつの間にか3人の子の母になりました(笑)。子供を授かる事が出来たキセキ。母になって思う事も変わり、今まではケガや痛みの治療をしていきたいと思っていましたが、今は、女性に特化した治療や癒しのメニューを作り、仕事・家事・育児・介護等に追われ、疲れた女性を癒し、リセットさせ『よし!また頑張るぞ!!』と前向きに出来るサロンを作りたいと思い『リュミエールLumiére』という女性限定サロンを院内に作りました。
たくさんの方々と今までお会いして来ましたが、皆さんが笑顔になって頂けることが何よりの喜びだと感じております。 今後も多くの女性が笑顔でいられるような治療やメニューを磨き、作っていきたいと思っております。
本田 志(鍼灸師)
私が鍼灸師を志したきっかけ。「小さい頃からスポーツに打ち込んでいて、病院では治らないと診断された怪我を、腕利きの鍼灸師に治してもらい、自分も先生のようになりたいと思った。」や「親兄弟や親戚に、いつかは自分もあんな風になりたいんだ!と思える憧れの鍼灸師の存在があった」などの感動のストーリーがあっかといえばそうでもありません。
飾らずありのままをお伝えすると味気なくなってしまいますが、素直にお話しします。
なんとなく人の体に興味があったから、なんとなく鍼灸師を目指しました。私が鍼灸師を目指そうと思ったのは、ただなんとなくです。しかし、やるからには本気でやろう。との思いから、鍼灸の資格だけで開業している鍼灸院で入学の数ヶ月前から修行生として学ぶことを決めました。
日々の修行の中で、不器用な自分に対して、厳しくも優しい院長や兄弟子たちは本当に真摯に接して下さっていたのですが、当時はただ厳しい環境であることしか考えることができず、日々を過ごしていましたし、そのありがたさに気づくことができませんでした。
兄弟子たちの言動が、患者さま第1で考えていたのだと分かっていなかったんです。それが少し分かるようになった今、当時の兄弟子たちには感謝しかありません。
修行期間は約6年半、自分の諸事情で院を後にすることになりましたが、鍼灸師としての学術だけではなく、大切なことをいくつも教わりました。
その中でも、何事においても常識に囚われるのではなく、自分で答えを見つけることの重要さを学びました。
「機械のように決まった動きだけをする人間になってはいけない。考えろ。」この言葉を今でもはっきりと覚えています。
なんとなくで始めた鍼灸ですが、今となっては自分の居場所となり、また、今後も変わることはないと思います。
鍼灸師としての土台を築くことができた過去の環境に心から感謝しつつ、その土台を基礎として学術を研鑽し、患者さんに寄り添うことができる治療家を目指します。今後ともよろしくお願いします。